R共闘批判

 ほとんどが再掲一部引用という形だが、R共闘(およびバリケード封鎖行動参加者)に対する批判をまとめてみた。

  • 1.「国高民青の訴え」より
     消えて読めない箇所は以下の通り。
    ・4行目
     の発想を見てみるならば、彼等を問題提起者として
    ・10行目
     等の闘争目的は「学内改革」と「教育の真の意味での正常化」であるとしながらも、「国家権力の手代として、またその忠実な実行機関として教師、学校側を
    ・25行目
     「R共闘」は封鎖行為以来、一貫して生徒会を無視した態度を取っています。昨日のビラによれば、彼等は今回の闘争目的を一定程度実現した時に、「R共闘は新らたな組織に発展的解消をする」「そして、その新らたな組織とは生徒諸君の主体性の連合でありたい」と言っています。ここに見られるように、彼等は現在の生徒会を"全面的に"否定しています。
  • 2.「11.5 2年有志から全校生徒へ」より(全文は「授業再開を巡って」ページに掲載)
     また、こんどの直接のきっかけをつくったR共闘は、”みんなが考えてくれればいい”などといった考えの下で、安易にバリストを行なおうとしたが、何が問題なのかを把握しきれず、従ってはっきりした問題提起もできないまま、結局そのあいまいな論理さ故に解体したのだ―とわれわれは考える
  • 3.「討論を続けている皆さん」より(全文は「さまざまな意見」ページに掲載)
     R共闘がテストの勉強をしていなかったというのは正しいが、彼らが問題提起を行ったという事実認識は間違っている。
     書き出しの部分は、当時ヒットしていたザ・ドリフターズの「ミヨちゃん」(オリジナルは平尾昌晃)冒頭の加藤茶のセリフを元にしています。
     皆さん!僕の話を聞いて下さい!! あっ、先生も聞いて下さい!!
     そうです、あれは10月27日でした。アアルキョートーなんて、変った、物好きな連れが、ハレンチな学内警察突撃隊のY隊長に撃退され、バリストに失敗し、ヤケクソになって(彼等は中間テストの勉強をしていなかった!)、捨て身になって「問題提起」なるものを行ったのは…あくる日からは討論の連続。一部過激派の再封鎖を恐れた日和見学校当局(文部省から見た場合は)はギマン的「討論の場」なるものを生徒たちに押しつけたのである!!この討論の場は生徒が勝ち取ったものではない。先生が我々に売りつけたのである!
  • 4.「反討論資料」より(全文は「さまざまな意見」ページに掲載)
     こちらは、R共闘と問題提起者は別の存在であるという正しい認識を示している。
  • 5.「2800これはこれでいいのか」より(全文は「授業再開を巡って」ページに掲載)
     批判というより揶揄。
     一番の「  さん」は、10月26日夜封鎖にそなえて学校に泊まり込んでいた生活指導部の教師。上の3「討論を続けている皆さん」のビラで、「学内警察突撃隊のY隊長」と呼ばれている人物。
     当時を知らない人のために言い添えると、これはあの頃ヒットしていた新谷のり子の「フランシーヌの場合は」の替え歌です。