事項説明
- 当時を知らない人のために、いくつかの項目について私見を交え説明することにした。
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R共闘(Room共闘)
ホームルーム共闘の略。
失敗に終わったバリケード封鎖行動の中心となった組織。
ただし、R共闘のビラを読み、R共闘が単独で行動した、あるいは参加者全員がR共闘に属していると考えた人も多かったようだが、実際にはR共闘のメンバーは参加者5人中2人だった。
本来は各クラスの共闘組織を目指していたと思われるが、3年4組にしか存在していなかった。
構成人員は5人。この内の2人は、2年生のときにタリラリラーン主義者同盟なるものを作っていた人たちなので、思想的にはかなり広範囲というかゆるい組織だったと思われる。
(タリラリラーン主義者同盟のビラは、描かれているバカボンパパの絵があまりにうますぎて、フジオプロからクレームが来るといけないのでこのサイトに載せるのは見送った。)
69年11月には解体再編されたらしい。
なお、「何故Room共闘はバリストに突入しようとしたか」のビラの著者は、その後あるセクトの活動家としてかなり危険な任務をこなしていたそうだが、1978年11月19日、多摩川に身を投げて自ら命を絶った。享年27。自殺する前家族に、高校時代は楽しかったと話していたそうである。
(他のメンバーについても書くと)
ビラ「討論資料2」の著者は、自分の会社を経営していたらしいが、2014年に亡くなっていたことが、昨年(2017年)の45年卒が幹事となる同窓会の準備の過程でわかり、今年(2018年)の4月に、4組(旧R共闘)2人、5組2人、2組と7組が1人ずつの計6人で墓参りに行ってきた。死因は肺がんだったそう。
飲食店経営の2人(バーと居酒屋)は元気だが、あまり儲かっていないようなので、お近くの人はもっと店に行ってあげてください。
問題提起者
もともとは、3年6組の「中間テストの延期について」のビラで、「問題を投げかけてきた」と言われている生徒たちのことを、誰かが問題提起者と呼んだのがはじめと思われる。
すなわち、当初は他称であったのだが、すぐ3年の他のクラスから、問題提起者を自称する生徒が多数出てきていた。
この時期の「高校紛争」に関する記述では、生徒側は、活動家と一般生徒という構図でしか描かれておらず、かなりいたはずの、活動家とは一線を隔しつつも、問題意識を持っていた生徒の姿がほとんど出てこないのだが、国立高校においては、活動家の力量不足があり、それを補うあるいは乗り越える形で、問題提起者が登場活躍する場面が生まれたと考えられる。